中級者をめざすブログ

ゆるふわな大学生のブログです。

レポート回顧

今期はレポート科目が1つあったが、なんだか救いようのない感じになってしまったなあという感じ。ガバガバ。尻すぼみ感もすごい。お盆も過ぎてしまったけれど、ブログに載っけて供養する。

1. 本稿の構成

本稿に与えられた課題は、納税者が法人税法132条の2事案では勝てないが、132条1項事案では勝てるのかという点について、各規定の要件解釈の相違や事実関係の相違に着目しながら論じることである。そこで、以下では抽象→具体の順、すなわち①適用条文、②適用条文の解釈(そこから導出される判断枠組みを含む)、③当てはめという順序で法人税法132条の2と同法132条1項双方に関する検討を行い、どの段階において差異が生じているのかという点について検討を行うこととする[1]

なお、第3段階で述べるように、132条の2に関するヤフー事件最高裁判決(最判平成28年2月29日民集70巻2号242頁)が同族会社の行為計算否認規定である132条1項に関する判断基準をも考慮し、そちらとの整合的な枠組みを提供することを目指していたと思われる(また、ユニバーサルミュージック事件最高裁判決(最判令和4年4月21日裁判所ウェブサイト)によって、最高裁が132条1項に関する事案でも同様の判断枠組みをもとに判断することを明示した)ことから、各項目の検討は132条の2から行うこととする。

2. 第1段階:適用条文の比較[2]

132条の2は「組織再編成に係る行為又は計算」、132条は「同族会社等の行為又は計算」に関する否認規定という位置付けであり、その役割は明確に分けられている[3]。しかし、両規定ともに「これを容認した場合には法人税の負担を不当に減少させる結果となると認められるものがあるとき」にこの規定を適用することとしており、不当性が問題となる点で共通しているといえる。ただし、これはあくまでも形式論に過ぎず、適用場面の差異等の実質面が不当性の判断方法にいかなる影響をもたらすかという点に注意を払う必要がある。

3. 第2段階:適用条文の解釈に関する比較

3.1. ヤフー事件までの議論状況

そもそも、132条の2は、平成13年度税制改正による組織再編税制の導入とともに制定されたものであり、同条項の解釈及び適用の仕方を初めて明らかにしたヤフー事件は、必然的に同条制定前から同様の位置付けの条文として存在していた132条1項に関する(裁)判例を手がかりにすることになる。そのような歴史的経緯に鑑みると、ヤフー事件最高裁判決が後述のように132条1項を意識した判断枠組みの設定を行うことは無理からぬことであったのではないかと考えられる[4]。以上の事柄を踏まえて、ヤフー事件までの議論状況を確認する。

ヤフー事件以前の判例には、不当性判断につき2つの傾向が見られる[5]。1つは、非同族会社では通常なしえないような行為・計算、すなわち同族会社であるがゆえに容易になしうる行為・計算が不当性を充足すると解する傾向であり、もう1つは、純経済人の行為として不合理・不自然な行為・計算が不当性を充足すると解する傾向である。金子宏は、いずれの考え方をとったとしても、具体的事件の解決に大きな相違は生じないであろうとしながらも、非同族会社の多様性ゆえに、何が同族会社であるがゆえに容易になしうる行為・計算にあたるかを判断することが困難であるとして、抽象的基準としては第2の考え方をとるべきであるとする。便宜上この項目で説明するが、金子の議論はこの考え方をさらに具体化し、ⅰ)「行為・計算が経済的合理性を欠いている場合とは、それが異常ないし変則的で、租税回避以外にそのような行為・計算を行ったことにつき、正当で合理的な理由ないし事業目的が存在しないと認められる場合のことであり」、ⅱ)「独立・対等で相互に特殊関係のない当事者間で行われる取引……とは異なっている取引には、それにあたると解すべき場合が多いであろう」としている[6]。この考え方は、一部の下級審判決でも採用され、多数説を形成している。

ヤフー事件の下級審においても以上のような判例の傾向が意識されている。第一審・控訴審は、2つの判例を明示的に掲げている。1つは最判昭和52年7月13日集民121号97頁(「貸付をした会社が、実際には同族会社であるために無利息ないし著しく低率の利息で貸付けたものであるのにかかわらず、……通常の金融取引と同程度の利息を未収利息として益金に計上し、その後の事業年度においてこれを貸倒損失として損金に計上した場合には、右貸倒処理は、同族会社であるためにされた不自然不合理な租税負担の不当回避行為として、同族会社の行為又は計算の否認の規定に基づき、これを否認することができるものと解するのが、相当である。」)であり、いま1つは最判59年10月25日集民143号75頁(「『法人税の負担を不当に減少させる結果になる』と認められるか否かは、専ら経済的実質的見地において、法人の行為、計算が経済人の行為として不合理、不自然なものと認められるかどうかを基準として判断すべきものである。これを法人の製品販売の行為、計算についてみれば、その販売価額が通常の販売価額(時価)に比し異常に低価であって、経済的取引としては不合理、不自然と認められるかどうかがその判断基準とされるべきである。」とした原審の判断を是認)であるが、これらはいずれも金子のいう第2の考え方と同様の判断枠組みを示すものであり、裁判所としても132条1項の不当性要件について、抽象的には、問題となった行為・計算が経済的見地からして不自然・不合理であるか否かを判断基準としてみていたといってよい。

これらの傾向を踏まえつつも、ヤフー事件の下級審判決では、①前述のような132条1項の不当性に関する判断枠組みの「ほかに」、②「組織再編成に係る行為の一部が、組織再編成に係る個別規定の要件を形式的には充足し、当該行為を含む一連の組織再編成に係る税負担を減少させる効果を有するものの、当該効果を容認することが組織再編税制の趣旨・目的又は当該個別規定の趣旨・目的に反することが明らかであるものも含む」という2つの類型が示された。この枠組みは第一審段階で示され、132条の2の不当性要件も従来の132条1項に関する裁判例に従い、純経済人の行為として不合理、不自然なものに限って該当すると解すべきという原告側の主張を認めることなく、控訴審においても維持されている。この文言を読む限りでは、第1段階で検討したように132条の2と132条1項は同じ不当性を要件としながらも、その内実は異なるものであると裁判所は判断していると読み取ることができる。とはいえ、下級審がその理解を正当化する根拠も、また原告側の主張も、本稿における第1段階レベルの形式論にとどまるものであり、さほど強固なものと見ることはできないものであった。それに加え、控訴審では副社長への就任行為を「経済的行動として不自然・不合理なものであって」「名目的な就任と認められる」と判示しており、原告の請求を棄却するにあたって②を示す必要は必ずしもなかったといえる[7]。そうすると、付け加えられた②の位置付けはいっそう不明瞭なものとなっていく。

3.2. 132条の2:ヤフー事件最高裁判決から

こうした下級審の判断に対し、最高裁は異なる構造の判断枠組みを示している。

まず、第1段階レベルの検討として、132条の2を「税負担の公平を維持するため、組織再編成において法人税の負担を不当に減少させる結果となると認められる行為又は計算が行われた場合に、それを正常な行為又は計算に引き直して法人税の更正又は決定を行う権限を税務署長に認めたものと解され、組織再編成に係る租税回避を包括的に防止する規定として設けられたもの」として位置づける。このような趣旨や目的から、第2段階として、同条の「法人税の負担を不当に減少させる結果となると認められるもの」を、「法人の行為又は計算が組織再編成に関する税制……に係る各規定を租税回避の手段として濫用することにより法人税の負担を減少させるものであることをいうと解すべきであ」るとする。すなわち、不当性要件を、原審までのような①②の2類型とせず、「濫用」の有無によって判断するという形で一元化させているといえる(「制度濫用基準」)。藤原健太郎は、この「一元化」が、真に原審までの判断枠組みの内容を実質的にどのように変更し、あるいは変更しなかったのかは、判決文全体と検討する実は明快ではない指摘するが[8]、その点は後に触れることとして、少なくとも判断枠組み部分から読み取れる部分について検討を進める。

このように制度濫用基準を採用した最高裁には濫用の有無を判断する基準が求められることになるが、最高裁は「〔1〕当該法人の行為又は計算が、通常は想定されない組織再編成の手順や方法に基づいたり、実態とは乖離した形式を作出したりするなど、不自然なものであるかどうか、〔2〕税負担の減少以外にそのような行為又は計算を行うことの合理的な理由となる事業目的その他の事由が存在するかどうか等の事情を考慮した上で」、「当該行為又は計算が、組織再編成を利用して税負担を減少させることを意図したものであって、組織再編税制に係る各規定の本来の趣旨及び目的から逸脱する態様でその適用を受けるもの又は免れるものと認められるか否かという観点から判断するのが相当である」とする(下線はいずれも筆者によるもの)。

ここで重要なのは、濫用の有無を判断する「基準」を最高裁が示さなかったことである。3.1.で述べたように、下級審段階において既に②の位置づけが不明瞭になっていたが、最高裁においてはさらに「基準」が示さない一方で、藤原も指摘するように最高裁が原審の判断について「結論において是認することができる」とせず「……以上の趣旨をいうものとして是認できる」と結び、あたかも原審の判断の論証過程についても賛同するかのような書き振りになっていることから、②に加え、①も含めた判断枠組みの全体について不明瞭さが増す結果となっている。このような判断枠組みの設定について、岡村忠生は「否認規定に関する裁判所の関与としては、ソフトな(よく言えば柔軟な、悪い言い方をすれば不明確な)ガイドラインのようなものを示す程度とし、その分、税務署長の判断を尊重しようとしたものと思われる[9]」と評価しており、首肯できる。すなわち、最高裁は、132条の2について行政裁量を与える規定と理解しているのである(なお、岡村はこの点を132条の2に限定せず、「おそらく他の行為計算否認規定もそうであろう」としているが、後述するように、132条に関しては若干その色彩が別の観点から薄まるものと考えられる)[10]。不明瞭さはさらに根本的な部分にまで及んでおり、最高裁は「濫用」について「『租税回避の手段として』濫用」としているにもかかわらず、何をもって「租税回避」となるのかという点について一切言及していない。脚注1で述べたように、確かに学説における「租税回避」概念に関する「対立」にはほぼ意味がないとはいえ、何らかの限定を付さなければ主張・立証の手がかりを得ることができないため、「租税回避」に関する説明をしないでよいということにはならない。このような審査のあり方では、納税者が主張・立証の手がかりとできる点が前述の「考慮」「観点」の要素にとどまることになり、具体的事案において必ずしも十分な主張ができない状態になることが容易に想定される。判断枠組みレベルでは、このような不明瞭さが132条の2事案における納税者の勝訴を困難ならしめるものと考えられる。

3.3. 132条1項:ユニバーサルミュージック事件最高裁判決を中心に

3.3.1.     前夜―IBM事件

132条の適用の可否が正面から争われた従来の事案として挙げられるのがIBM事件である。本件では3.1.で述べたような従来の判例の傾向を踏まえ、132条1項の不当性要件について「専ら経済的、実質的見地において当該行為又は計算が純粋経済人として不合理、不自然なものと認められるか否かという客観的、合理的基準に従って判断すべきもの」としている。注目すべきはその後で、「同項が同族会社と非同族会社の間の税負担の公平を維持する趣旨であることに鑑みれば」という簡潔な理由のみを前提として、「当該行為又は計算が、純粋経済人として不合理、不自然なもの、すなわち、経済的合理性を欠く場合には、独立かつ対等で相互に特殊関係のない当事者間で通常行われる取引(独立当事者間の通常の取引)と異なっている場合を含むものと解するのが相当」と判示している点である。3.1.で述べた金子による具体化においては「それにあたると解すべき場合が多い」という程度に捉えられていた「独立当事者間の通常の取引」と異なっている場合を「含む」としており、「独立当事者間の通常の取引と異なっている場合」であれば、経済的合理性を欠く場合に当然に該当するように読める。また、「含む」ということはすなわちそれだけではないということを意味し、独立当事者間の通常の取引とは異なっている取引以外の同族会社の行為・計算であるとしても、不当性要件を充足する場合があるということをいうと考えられる。このような考え方は、前述の金子説を代表する学説の理解よりさらに132条1項の適用範囲を拡張するものであるが、これは同族会社が行う取引について、同項を実質的にあたかも移転価格税制に関する規定であるかのように取り扱うものであって、租税法律主義の観点から疑問が呈されるほどの理解とされていた[11]

IBM事件控訴審では、一般的には納税者にとって不利な条文解釈が採用されていたにもかかわらず、納税者側の勝訴という結果に終わり、ヤフー事件最高裁判決と全く同じ裁判体によって上告不受理とされている。そのため、控訴審が示したいわゆる独立当事者間取引基準説を最高裁が妥当だと判断したかという点については当初から疑問とされており、またヤフー事件最高裁判決が前述のように132条1項に関する従来の判例の流れを踏まえながら、それを132条の2のあり方に適合させるための修正を加えた判断枠組みを示したという点に鑑みると、最高裁はむしろ独立当事者間取引基準説を採用することに否定的ではないかと考えられていた[12]

3.3.2.     ユニバーサルミュージック事件

3.3.2.1.    地裁判決・高裁判決

IBM事件控訴審判決に対する以上のような疑いの目が向けられる中、ユニバーサルミュージック事件の地裁判決(東京地判令和元年6月27日裁判所ウェブサイト)は、ある種画期的な判断を下す。すなわち、東京地裁は、132条1項1号の趣旨を「同族会社と非同族会社との間の税負担の公平を維持するため」と捉えた上で、「このような同号の趣旨に照らせば」として、不当性の判断枠組みを「専ら経済的、実質的見地において、当該行為又は計算が純粋経済人として不自然、不合理なものと認められるか否か、すなわち経済的合理性を欠くか否かという客観的、合理的基準に従って判断すべき」とする。この判示と、この次の(イ)において、「同族会社にあっては、自らが同族会社であることの特性を活かして経済活動を行うことは、ごく自然な事柄であって、それ自体が不合理であるとはいえないから、同族会社が、自らが同族会社でなければなし得ないような行為や計算を行ったとしても、そのことをもって直ちに、同族会社と非同族会社との間の税負担の公平が害されることとはならない」と示されていることから、経済的合理性基準が採用され、IBM事件控訴審判決における独立当事者間取引基準説の採用を明示的に否定しているといえる。この基準の提示そのものも画期的であり、最終的に最高裁に至るまでこの部分は維持されることになる。もっとも、吉村政穂が指摘するように[13]、132条の趣旨があくまでも同族会社と非同族会社の間の税負担の公平を維持することであることを考えると、「同族会社にあっては、自らが同族会社であることの特性を活かして経済活動を行うことは、ごく自然な事柄であって、それ自体が不合理であるとはいえない」という部分は不適切であり、控訴審判決ではこの記述が消えている。

次に注目すべきは、地裁判決の「利益を産み出し、これを出資者である株主や社員に対して還元することを究極の目的とする会社にあっては、……様々な観点から、利益を最大化し得る方法を法令の許容する範囲内で自由に選択することができるところ、……会社の経営判断の当否や、当該行為又は計算に係る経済的合理性の高低をもって『不当』か否かを判断することができるとすれば、課税要件の明確性や予測可能性を害し、会社による適法な経済活動を萎縮させるおそれが生じるといわざるを得ない。したがって、当該行為又は計算が当該会社にとって相応の経済的合理性を有する方法であると認められる限りは、他にこれと同等か、より経済的合理性が高いといえる方法が想定される場合であっても、同項の適用上『不当』と評価されるべきものではない。」という部分である。すなわち、東京地裁は、行為計算の選択に関する会社の判断の当否につき課税庁が事後的に介入して当該行為計算を直ちに否認することを認めるべきではない、と考えているように読むことが可能であり、それはすなわち、谷口勢津夫が指摘するところの「会社法の領域で取締役の注意義務……に関して妥当するとされる経営判断原則を、同族会社の行為計算の場面に『応用』したもの[14]」と評価することができる。このように、経営判断原則の「応用」によって、行為計算の選択に関する広範な裁量を会社に認め、その裁量に基づく判断を尊重するということで、行為計算の選択に関する会社の裁量判断が原則として否認権の行使に関する課税庁の裁量判断に優位するということを認めたのが地裁判決であるといえる。

もっとも、この点についても高裁において制限がかけられることになる。その原因は、本件が組織再編成を含む企業再編等の一環として行われた金銭の無担保差入れが問題となるケースであり、132条の2と非常に近接した事案だったという点にあると考えられる。すなわち、132条の2との不当性要件の解釈を統一的に行う必要性の高い事案であり、そのような解釈を行うにあたり、租税回避否認の考慮を働かせる必要があったということである。東京高裁は「組織再編成を含む企業再編等は、その形態や方法が複雑かつ多様であり、基本的には、いかなる必要性に基づいてどのような形態、方法で行うかにつき当該企業集団の自律的判断に委ねられるものである」として、地裁と同様に経営判断原則の「応用」を行うものの、「前記のとおりこれを利用する巧妙な租税回避行為が行われやすく、租税回避の手段として濫用されるおそれがあること、企業再編等の一環として行われる行為につき、何らかの事業目的等を作出し又は付加することも比較的容易であること等からすると、企業再編等の一環として行われた同族会社の行為又は計算の不当性要件該当性を上記のような観点から判断することになれば、当該行為又は計算を行う必要性のほとんどが租税回避目的であって、税負担の減少以外の経済的利益がごく僅かである場合でも、経済的合理性があるとされかねない」として、そのようなことを132条の趣旨・目的に反し、相当でないと判断している。このように、高裁判決においても、企業再編が問題となる事案に関する限定がかけられ、またその判断枠組みも地裁ほど厳格ではないにせよ、会社に対する行為計算の裁量を認めているという点に注目すべきである。

3.3.2.2. 最高裁判決

これらの下級審判決を受けて下された最高裁判決は、132条1項の不当性判断に関する一般的基準として経済合理性基準を用いることを明示しており、今後132条1項の適用が問題となる事案における抽象的な基準が一旦確定したことになる。

問題は、最高裁がこの抽象的な判断枠組みをそのまま適用するのではなく、さらに事案に合わせて階層的に具体化しているという点にある。最高裁による階層化は、以下のようになされる。すなわち、

  • 132条1項適用に関する一般的判断枠組み
  • (1)のうち、特に金銭借入れに関する判断枠組み
  • (2)のうち、金銭借入れが、ある企業グループにおける組織再編成に係る一連の取引の一環として行われた場合の判断枠組み
  • 一連の取引全体が経済的合理性を欠くものか否かに関する判断枠組み

というものである。こうした階層分けは、(2)以下の段階に関する判断枠組みが、今後の132条1項事案について必ずしも妥当するとは限らないということを意味すると考えられる。この点は留保した上で、(2)以下を見ることが必要になる。

 そこで注目すべきは、(3)(4)である。これは要するに、高裁までの段階において経営判断原則を「応用」することを前提とした事案類型であり、最高裁もまた本件の事案類型については高裁までと同様のものと解している。そのため、最終的な(4)の判断枠組みもまた高裁と同様のものとなっている。それでいて、最高裁の判決文には、経営判断原則を匂わせるような文言が判断枠組みレベルには存在しない。確かに、「〔1〕当該一連の取引が、通常は想定されない手順や方法に基づいたり、実態とはかい離した形式を作出したりするなど、不自然なものであるかどうか、〔2〕税負担の減少以外にそのような組織再編成を行うことの合理的な理由となる事業目的その他の事由が存在するかどうか等の事情を考慮する」という判断枠組みそれ自体はヤフー事件最高裁判決でも用いられていたものであり、特別なものとはいえない。しかしながら、本件においては、こと高裁において組織再編成を含む企業再編等の一環として行われた金銭の借入れに対する経済的合理性基準の適用について特に述べられたものであり、かつ前述(3.1.)のように、裁判所が132条と132条の2の不当性要件の内実を異なるものと見ていたことを踏まえるならば、単に132条の趣旨・目的だけから直ちに以上の判断枠組みが導かれるとはいえないのではないかと思われる。そうすると、残る手がかりは、組織再編成行為の特質について東京高裁が述べた3.3.2.1.の事柄、すなわち経営判断原則の「応用」による当該企業集団の自律的判断の尊重と租税回避否認の考慮という部分になる。仮に後者のみを考慮するのであれば、あるいはヤフー事件最高裁判決のような濫用基準に近づくことも十分想定されるのであり、「租税回避否認への考慮は、分野を限定した一般的否認規定である132条が問題となっている事案なのだから当然のことであり、わざわざ書くまでもなかった」とは言い難い。そうであるならば、やはり経営判断原則の「応用」までも取り込み、かつ当然の前提として表出させなかったと考えるのが自然ではないかと考えられる。事実、いわゆる「当てはめ」の段階において、どの程度「税負担の減少以外にそのような組織再編成を行うことの合理的な理由となる事業目的その他の事由」が存在すればよいかが不明であるなか、税負担の減少目的があることを明確に肯定しながらも、最高裁は事業目的の存在を認定して132条1項による否認を認めておらず、ある種「事業目的が存在すればOK」というような姿勢を見せているようにも考えられる。また(4)の検討を、個別取引レベルではなく、一連の取引全体というある種大雑把なレベルで行っていることも、ビジネス全体としてどうなのかという高所からの観察をおこなっていると見ることができる点も、会社に対して経営に関する裁量を認めているからそのようにされるのだと言われれば、納得感のある論証になると考えられる。

3.3.2.     小括

 以上のように、132条1項に関する事案について、ことユニバーサルミュージック事件のような事案類型については、裁判所が判断枠組みを設定する背景において、経営判断原則の「応用」というツールを用いているという点が判断に影響を及ぼしているという可能性が1つ考えられる。しかしながら、地裁・高裁の判断において明示され、かつ上告の際に原告(第1審原告)がやはり経営判断原則を持ち出していたのにも関わらず、最高裁一切経営判断原則について触れなかったという点は気がかりなところである。そのため、次項において当事者の主張レベル、あるいはそれに対応した「当てはめ」レベルでの可能性についても言及することとする。

4.  いわゆる「当てはめ」に関して――当事者の主張と共に

4.1.  はじめに

5で述べるように、本稿における(暫定的)結論は、判断枠組みの設定レベルで裁判所が132条と132条の2に対して付与した重み付けの大きな違いによって判断の差異が生じているというものであるので、「当てはめ」以前に決着がついているのではないかと考えるものであるが、こと132条事案については、当事者の主張レベルに問題があり、それが「当てはめ」に影響を及ぼしていると考えられるため、特に検討することとする。

4.2. 132条:「一連の行為」を考察する必要性

ユニバーサルミュージック事件では、実際に問題とされるような行為は同族会社による金銭の借入れという個別の行為である。しかしながら、否認されようとしている行為はそれだけではなく、その行為が連なる「一連の行為」全体である。これは、国側の主張が、事業再編及びグループ内での融資を捉えて、一連の行為として括り出し、その経済合理性を問題視するという構成が基礎にあるとされる[15]。しかしながら、このように「一連の行為」の中に不合理な取引が紛れ込んでいる局面において、「一連の行為」全体を否認しようとするのであれば、やはり審査の目は「一連の行為」全体が経済的にどうなのかという点に向けられることになると思われる。そうなると、前述のような「税減少目的は確かに存在するが、事業目的があるので、全体としては合理的」というような判断にならざるを得ない。またそれは、132条が(132条の2も同様だが)、不当性が認定された場合に正常な行為・計算に引き直すという構造になっていることからもそのようにならざるを得ず、全体としては正当な事業目的が存在するのであれば、全体を引き直しようがないということになってしまう(事実、ユニバーサルミュージック事件では、引き直し論についてのみ上告受理されていない)。

これもまた、132条1項事案一般について論じることができることではないが、特にある一連のプロセスの一部を構成する行為を問題視する場合に、その特定の行為・計算だけではなく、プロセス全体をまとめて否認しようという課税庁の狙いが条文上無理のあるものであり、前述のような「緩い」当てはめを導くことになるということで、132条に関する事案で納税者が勝訴するという結果になるのであると考えられる。

5.  本稿における(暫定的)結論

 これまでの検討から、現状なぜ納税者が法人税法132条の2事案では勝てないが、132条1項事案では勝てるのかという冒頭の問いについて、以下のような暫定的結論が導かれる。

  1. 132条の2事案では、ヤフー事件最高裁判決において示された枠組みが「考慮」「観点」といった必ず考慮されるものではないものを示すにとどまり、「租税回避」が何なのかが不明瞭であるため、納税者が当該事案において必ずしも有効な主張を行うためのツールが存在しない。
  2. 132条1項事案では逆に、これまで争われてきた「一連の行為」全体を否認するということが、現状の条文構造では困難であり、課税庁側に有効なツールがない。それにも関わらず、課税庁が全体を捉えようとするため、結果的に全く否認ができないという状況に陥っている。
  3. 132条1項事案のうち、とくに「一連の行為」全体が組織再編成に向けられている事案においては、そうした行為が経営判断のもとで行われるものであるがゆえに、経営判断原則に基づく会社の行為への「尊重」が裁判所に見られ、そのことが「一連の行為」全体を捉えて否認することを困難ならしめている可能性がある。

 いずれについても、個別的否認規定の充実による具体化を待たなければ根本的な解決はできないものと分析することができ、代理人としては、特に132条の2事案においては、「考慮」「観点」はもちろんのこと、何が当該事案における「否認」のもとになっているのかという点を見極め、それに対応した立証活動が個別に求められることになろう。

 

[1] それ以前の段階として「租税回避」の定義論があり、金子宏が提示する「私法上の形成可能性の濫用」に対して、今村隆がそれでは租税回避そのものを示せないとして「租税法規の濫用」という理解を示し、両定義には「真の対立」が存在すると主張する(金子の理解につき金子宏『租税法(第24版)』(弘文堂、2021年)133-134頁。また今村の理解につき今村隆『租税回避と濫用法理』(大倉財務協会、2015年)5頁、および同「組織再編税制における租税回避――素朴な経済合理性基準から洗練された濫用基準へ」租税法研究50号(2022年)82頁)。しかしながら、金子は第22版以降の『租税法』で租税回避の類型化を行い、谷口勢津夫によるとそれは①私法上の形成可能性(選択可能性)の濫用による租税回避と②税法上の課税減免規定の濫用による租税回避とに類型化される(谷口勢津夫『税法の基礎理論――租税法律主義論の展開――』(清文社、2021年)208頁)。①についても間接的手段ではあるが、租税法規の濫用が行われていることから、今村の理解を採ったとしても①②両方を指すことになり、今村の主張するような対立はほとんど意味のない議論であると言わざるを得ない。そのため、本稿ではこれ以上の検討を行わない。

[2] 要件の詳細な整理については省略する。例えば、斉木秀憲「組織再編成に係る行為計算否認規定の適用について」税大論叢73号(2012年)等を参照。

[3] その意味で、法人税法132条と同法132条の2はそれぞれ分野を限定した一般的否認規定ということができうる。

[4] 後述するユニバーサルミュージック事件(高裁以降の判決)の不当性に関する判断枠組みに対しては、2で述べたような132条1項と132条の2の適用範囲の違いから、132条1項に関する事案に132条の2に関する判断枠組みを「混入」させることについて望ましくないとの批判を向ける論者も見受けられるが、形式論に過ぎるものであり、ヤフー事件に連なる歴史的沿革を無視しているように思えてならない(沿革を踏まえた上でなおその批判を向けるのであれば、それは1つの見解であるのだろうが)。中村繁隆「BEPS取引に対する法人税法132条1項適用の限界~ユニバーサルミュージック事件(最高裁令和4年4月21日判決)~」WLJ判例コラム266号(2022WLJCC018)4頁、6頁脚注19を参照。

[5] 金子・前掲注1)542-543頁による。

[6] 金子・前掲注1)542頁。なお、この表現が採用されたのは同書の第18版からである(太田洋(編著)『M&A・企業組織再編のスキームと税務 第4版』(大蔵財務協会、2019年)902頁参照)。

[7] 長戸貴之「判批」ジュリスト1490号136頁、藤原健太郎「判批」法学協会雑誌135巻9号150頁も同旨。

[8] 藤原・前掲注7)151頁。

[9] 岡村忠生「租税回避への柔らかな対応〜ヤフー事件最高裁判決〜」WLJ判例コラム77号(2016WLJCC015)3頁。

[10] 岡村・前掲注9)3-4頁。

[11] 太田・前掲注6)906頁。

[12] 太田・前掲注6)907-908頁。

[13] 吉村政穂「最近の裁判例に見る租税回避否認規定の課題」租税研究846号(2020年)180頁。

[14] 谷口・前掲注1)350頁。

[15] 吉村・前掲注13)179頁。

Sセメ閉幕

はじめに

4回オイショ!したら終わっていた(挨拶

レポートはまだ片付いていない(絶望

 

フル対面は久しぶりで、とても疲れた。

移動時間の有効活用が大事だとは思うが、いかんせん朝のアホみたいなラッシュでは如何ともし難い。iPad miniを導入したことでこの点はある程度改善するだろうけれど...(正直、もうiPad Proを外に持ち出すことはないと思う)Audbleはどうも好きになれない。

 

講義

6コマ(うち2コマ科目1つ)。まあこのくらいが妥当かなという感じ。

必修は3つ。民法は令和3年改正周りを勉強せざるを得なくなったのでたすかる。商法も去年一斉に出た企業買収事案についての勉強をする機会を得られたのはありがたかった(試験でも聞かれたが、書けたかどうかはよくわからない)。同じ科目で単位取得難易度があれほど違うというのはどうかとも思うけれど... あとは憲法訴訟+行政訴訟で2単位の悪魔のような科目。憲法はゆるふわ、行政法Twitterをどこかで見ている。

 

演習

2つ出てしまった。

処分性わからないマンの前回講義に関する言い訳

はじめに

 何のことやらわからないことになってもアレなので書いておくと、労災就学援護費に関する最判平成15年9月4日判時1841号89頁【行政百選Ⅱ-157事件、行政法判例集Ⅱ-22事件】と、紋別市の老人福祉施設移管に関する最判平成23年6月14日裁時1533号24頁【行政法判例集Ⅰ-134事件、平成23年度重判解行政法6事件】を対比して、なぜ前者の(解釈手法の)射程が後者に及ばなかったのかという事柄に関する(とても真面目な)エントリです。

 過日の某講義でこの辺についてコメントをしたのですが、発言を行った状況もあって何を言っているかがいまいち分かりにくい状態になってしまったので、改めて自分の理解を整理する意味でもエントリにしてみました(Twitterに放流するとこわいコメントが集まりそうでこわいし、何なら前者については社会保障判例百選の評釈*1をフォロワーの某先生が行っていることに気づいてしまった)。

最判平成15年9月4日判時1841号89頁

 事案等は省略する。就学援護費に対する給付拒否決定に処分性が認められるかという点が問題となり、結論としては処分性を肯定している。

 本件の判断手法に関する画期的な点としては、従来の(裁)判例は処分性を肯定するための根拠が法律にあることを要求するような流れがあったところ、就学援護費の根拠・性格を法律から読み取る一方で、その具体的仕組みを通達から認定し、「制度の仕組みにかんがみれば」、「保険給付と同様の手続」で行われる援護費の仕組みを法が規定しているとして処分性を肯定した点にある*2。すなわち、処分性判定に関して直接規定の置かれた法律ではなく、法律からの委任を受けて定められた通達を最大の手がかりにしたということにあるといえる。

 なお、その判断の中では就学援護費が労災保険給付(労働者災害補償保険法上に規定)を補完する目的を有しており、「保険給付と同様の手続により、被災労働者又はその遺族に対して労災就学援護費を支給することができる旨を規定している」とした上で、保険給付拒否決定に対しては不服申立て規定が設けられていることから、従たる就学援護費にもそうしたものが認められるべきであり、処分性についてもまた肯定すべきという論証がなされている。

最判平成23年6月14日裁時1533号24頁

事案

 紋別市は、老人福祉施設を運営したいと考えていたが、その具体的な運営を私人に委ねたいと考えていた。そのような方向で運営を行う場合、2つの方法が考えられる。

  1. 指定管理者制度地方自治法244条の2第3項以下)の利用:施設を「公の施設」のまま、私人に運営を委ねる。
  2. 施設譲渡:当該老人福祉施設について、普通財産とした上で(「公の施設」を廃止した上で)、民間に譲渡する。

 紋別市は2を選択し、条件として「少なくとも20年間、老人福祉施設として運営すること」という条件を付した。老人福祉施設として運営させたいのであれば1を選択すればよいとも考えられるところであるが、原審(札幌高判平成21年11月27日裁判所ウェブサイト)によると「……Aの民営化に当たっては,指定管理者方式と施設譲渡方式とが検討された上で,3年から5年の指定管理期間ごとに事業者が変わる可能性のある前者の方式を避け,長期的に同じ事業者がAの経営を継続することができる効果を期待して,後者が選択されたことが認められる。」とあり、この点に2を選択した理由が認められる。

争点

 本件では、このような制度のもとで行われた老人福祉施設の運営者募集に応募した者に対してなされた不決定の通知(本件通知)について処分性が認められるかが問題となった。

裁判所の判断

 原審は、前述の平成15年最判を拡張的に利用して処分性を肯定した。すなわち、指定管理者制度と本件(2)は、いずれも民営化を狙いとするものであるとした上で、期間を限定して管理を委ねる指定管理者制度について(すら)地方自治法上公募が要請されているのだから、土地を無償で譲渡し、より長期にわたり施設管理を委ねる本件(2)については、なおのこと公募が地方自治法上要請されているということで、両制度は同様の手続に基づいて行うべき、というものである*3

 これに対して最高裁は、本件通知を、当該契約を締結しないこととした事実を告知するものに過ぎないとして、「公権力の行使」性と具体的規律性の双方を否定することで処分性を否定した。

なぜ平成23年最判は平成15年最判の判断手法を援用しなかったのか?

 ここが前回の発言内容(前置きが長すぎる!)。かなり乱暴にまとめると、この2件の差異は「法令間の距離」にあったのだと考えられる。

 平成15年最判における労災就学援護費については、法律レベルの記述こそないものの、労働省労働基準局長通達(昭和45年19月27日基発第774号)において、労働者災害補償保険法23条1項2号において政府が行うことができる労働福祉事業として設けられたことが明らかにされている(その点が、最高裁において「法第3章の規定に基づいて行う保険給付を補完するために」と判示されたのだと考えられる)。すなわち、定めの置かれている場所こそ異なるものの、保険給付と労災就学援護費はいずれも同じカテゴリの者を対象としており、かつそれぞれの制度に関する定めを置いた法律・通達が、通達によって直接に結び付けられているといえる。

 これに対して平成23年最判でその関係性が問題となった2制度のうち、指定管理者制度は前述の通り地方自治法上に定めのあるものであり、あくまで公物である「公の施設」を対象としているのに対し、普通財産の譲渡はもはや公物ではないものを対象としており、かつ両者をつなげる法令レベルでの根拠は存在しない。

 このように2判決を見比べると、各判決で問題となっている2制度間の法的繋がりの濃淡に差異があることが認められる。平成15年最判は明らかにしていないが(だからこそ「大雑把*4」だとされているのだろうが)、関連法令をも考察すべき場面は両制度が「実質的に類似している」場面まで拡張されるのではなく、あくまでも法律・通達レベルで両制度が「関連」している場面に限定されるということになるのだと考えられる(だからこそ平成15年最判の大雑把さは「よい大雑把さ」と捉えられるのだと思われる)。そのため、そのような法律(・通達)レベルでの接続の手がかりが得られなかったと判断された平成23年最判では平成15年最判の判断手法が援用されなかったのだと考えられる。

 

 ちょっとわかったような、わからないような感じになった。

 

追記(2022.5.31)

 平成23年最判の原審が「被控訴人においては,民営化の一手法である指定管理者方式においてすら公募を原則としていることに鑑みれば,同じ民営化のために,より慎重に受託事業者を選定する必要のある施設譲渡方式においては,公募によることが地方自治法の解釈上要求されているものと解することができる。」と判示しているが、そもそも地方自治法上、指定管理者をどのように選定するかは未定であり、条例が具体化しているに留まることから、施設譲渡方式にについて公募制度が「望ましい」とは言えても、「地方自治法の解釈上要求されている」とは言えないのではないかというコメントをTwitter上でいただいた(引用するのが筋だろうけれど、ここでは控える)。

 確かに制度の立て付け上、「地方自治法の解釈上要求されている」というのは言い過ぎのように思える...何とか平成15年最判の画期的な手法が使えないかとやり過ぎてしまったのだろうか。

 

 それと、平成23年最判は「そもそも指定管理者制度を参照する必要もなく本件は解決できる」ということを判決文に示しているという話を聞いたが、どうも判然としない。

*1:社会保障判例百選(第5版)116-117頁。

*2:太田匡彦・行政判例百選(第7版)327頁。

*3:大橋洋一地方自治判例百選(第4版)112-113頁が解説としては優れている。

*4:太田匡彦・行政判例百選Ⅱ(第7版)327頁。大橋洋一は太田のこの記述を本判決に対する批判と捉えているようだが、おそらくそうではない。

開幕

対面授業がやってくる

最終年度が開幕。2019年度以来の対面授業ということで...

通学しなければならない

これは普通に面倒臭い。1限がある場合はクソみたいな混み具合の通勤電車に押し込まれる。やってられない。本を開くのもままならないので、片手で扱えるiPad miniの購入を検討している。

周りに人がいる

これはいい面と悪い面が同居する点。講義前後に雑談をしたりすることもできるのは気持ちの点ではいい。「ばったり会う」というのもまた良い。が、マスクをしているせいで気づかないこともそれなりにある(昨日はリサーチペーパー副査の先生に気づかず声をかけられなかった。かなしみ)。また否応なしに周りに人がいるということによるストレスが無いこともない。

オフライン化による一期一会感

これもまた両面が同居する。その場その場の臨場感は確かにオフラインの方がある。が、記録が残らないのでコマ被りで見られない講義を覗いたりすることができない。今年度は特にコマ被りのせいで履修が組みづらいので困る。(某所で「対面授業オンリー、配布物は紙媒体のみ」というものを見かけて、そこまで原始化する必要があるのかちょっと疑問に思うところがなくもない)

 

講義感想(こっそり)

必修はまあ別に何もない。某級某法2(某某)のK先生の喋りが某多重影分身弁護士の方に激似で困る。落とすと一発留年なので頑張らなければならない。

あとは結局色々考えたものの某外国法と実務系?科目*1+演習だけ。広がりのない履修になってしまった感はあるけれど、そもそも本籍地も固められていないような気がする現状では致し方ないか... 演習もかなり重たいし。結局2つ出ているけど大丈夫なのかしら......

*1:実務家が担当しているし、まあ実務系科目っちゃ実務系科目か。

判決言渡し期日(いつの話よ)

(タイトルは完全に某所のパクリです)

 

SNSが留年絡みの話で炎上して盛り上がっているのをよそめにかなり遅れた成績おもらし。

行政法はよかった。今日になって試験講評が提示されていたので読んでみたが、減点要素を全て綺麗に踏みつつも、うまいこと加点に繋がるような記述はできていたらしい。いいのか悪いのか...

やはり辛い評価の嵐が吹き荒れた某民事系科目はまさかの好評価。レポートは頑張って書いたものの、期末試験はこんな感じ↓で最後らへんは自分でも何を書いているのかわからないような謎の答案を提出してしまった。クラスの3分の1がC以下...こわいね。

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なお、ここで自戒を込めて令和3年司法試験採点実感(公法系)を掲載しておく。

画像

 

閉鎖会社はまあ普通。逆に変なことを書いたつもりもないけれど、A以上の割合を見るに書き負けてしまったのだろうなあ...

刑法は解せないけれど、まあもうそこは演習不足ということで...(時間の中で正確な事実の認定が必要なんだな)

実務基礎科目は知らん。まあ熱意に関しては間違いなく周りに比べるとないので別にいいやという感じ(いいのか?)。民事はもうちょっと頑張って勉強しておけばよかったなあ(実務基礎プロパーとかそういう話ではなく、実体法全体として)。

 

で、租税法を次年度に回して履修した某科目とリサーチペーパー指導教員担当科目は共に合格点。某科目に関しては内容も評価も満足かと言われると微妙だけれど、まあペーパーに繋がる手がかりがちょっとだけあったのでまあいいとする。後者は二文字の評価が欲しかったというのが正直だけれども、レポートが尻切れトンボ気味になってしまったので致し方ないか(しかし、まさかあの履修者数であの評価分布とは...厳しい)。

 

とりあえず全体として何番目かはわかるくらいの位置にいたので、ああまあこれならいいかなあという感じ。前期の4単位の悲劇もあって決して良くはないけれど()

 

幸いにして興味のない科目を再履修させられる事態は回避できたので、来年度はまあ好きなこと(専門とも言うかもしれない)と、その周りで遊べるような履修をしたい...

成績もある程度取らないといけないし、何より研究論文を書かなければお話にならないのだけれども(破滅の予感‼︎)

 

と思っていたら金曜3限のトリプルブッキング。ガン萎え。

2022年度カリキュラム改革?

はじめに

 別に自分には関係のない事象だが、2022年度から法曹コースの学生が法科大学院へ入学を始めたことで若干カリキュラムへの影響が生じていることに気づいた。いずれ当局から公式発表があるだろうけれど、時間割から察することができることを挙げてみる。とはいえ、弊社の場合はそれほど大きな変化は見られなさそう...?

必修科目

※()内は単位数。

現行

2S

憲法(2)・民事訴訟法(2)・刑事訴訟法(4)・民事系判例研究(2)・リサーチ・ライティング&ドラフティング(2)・法のパースペクティブ(2)

2A

行政法(2)・民法1(2)・商法1(2)・刑法(2)・民事実務基礎(2)・刑事実務基礎(2)

3S

公法訴訟システム(2)・民法2(2)・商法2(2)

3A

法曹倫理(2)・現代法の基本問題(2)

2022年度以降

2S

憲法(2)・民法1(2)民事訴訟法(2)・刑事訴訟法(4)・民事系判例研究(2)・リサーチ・ライティング&ドラフティング(2)・法のパースペクティブ(2)

2A

行政法(2)・民法2(2)・商法1(2)・刑法(2)・民事実務基礎(2)・刑事実務基礎(2)

 

 3S以降は現時点では不明だが、民法が1期ずつ前倒しになっているくらいしか違いはない。というか正直そのくらいしか動かしようがないのだと思う(あるとしたら刑法を2Sに持ってくるくらいだが、それではあまりに2Sの負担が重すぎる)。2Sが辛そう。ただでさえ辛い2Aは民法2が入ってくることで更に地獄になりそうな予感もある(まだ民法1の方が民実とのシナジーも大きい気がする)。

 弊社の3A必修科目はそもそも司法試験とは(直接には)関係しない科目しかないわけだし、講義の内容も考慮すると2SのRWDを司法試験終了後の3Aに移動させてもよかったんじゃないか...とも思う。そう単純な話ではないのだろうけれども。

 

選択科目

 正直ここも大きな違いが見えない。変更点としては

  1. 司法試験における選択科目に該当する講義科目が全て2年次以降配当に変更された(従前は租税法・倒産法・国際私法のみ2年次配当)
  2. 「国際〇〇法」シリーズが全てAセメスターへ移動

 が挙げられるが、1については3年次配当科目であっても必修科目と重複しない限りは履修申請を行うことが可能であり、よっぽどのことがない限り教員も履修を拒絶することはなかったのでは...?2年次の必修科目(クラス指定科目)と時間割が重複しないような配置がなされるようになったという点で確実に履修できるようになったとは言えそう。

 2については偶然なのか意図的なのか何ともわからない。弊社は国際法あるいは「国際〇〇法(租税、経済、人権)」のいずれか1つの単位取得を修了要件の1つとしており、どうせなら司法試験終了後に腰を据えて勉強してもらいたいと考えるならこの配置になるのも自然か。とはいえ、それならその変更は司法試験の実施時期が変更となる2023年度からにしてもらいたかった感がある(従来から2Aで開講されている国際法を履修していない自分のような学生は、否応なしに3Aで一発留年を賭けて国際〇〇法を履修することになってしまう‼︎)。

 

 

 

Aセメスター期末試験雑感2

はじめに

 だいたい前回もノリで書いただけのものなので、途中で終わってしまっているのにその後の試験について書いていないことも忘れていた。

 

商法

 この週は4科目試験があり、これが3科目目。前日の3時間のアイツのせいで何のやる気も起きない。

 科目の性質上、ガチャを引かされる科目やもう1つの科目と異なり、会社法全体が試験範囲になっている(だから選んだ部分があるが、だからこそダルい)。第1問が資金調達+機関(株主総会)、第2問が組織再編+機関(取締役の責任追及)という欲張りセットでお腹いっぱい。時間足りない...外してはいないんだろうけどPC入力方式じゃなけりゃやられていた。来期もせっかくだし実務家教員枠のコマを取りたいなあ...

 

行政法

 凶悪。元ネタ裁判例は東京地判令和3年4月15日裁判所ウェブサイト(https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/760/090760_hanrei.pdf)。何というか、この科目のために供給されたのかというような争点の構成をしていて気持ち悪い(試験問題ではカットされているが、教材ユニット1に当たる部分も判示されている)。設問1で不安になってしまい筆が滑った部分が減点対象。設問2は不利益処分であることを説明できたはず。設問3も要求されている事柄を書きながら減点項目に筆が滑ってしまう。やっちまった。どんな評価が来るのやら...

 

民法

 週末を挟んで襲い来るラスボス。問題文を開いた瞬間絶望する。フィギュアスケートでワリエワが「絶望」と呼ばれているが、このK先生もまた「絶望」の名がふさわしい。というか、ワリエワはまだ転んで減点になったりするが(それでも2位に大差をつけるから「絶望」なのかもしれない)、先生は別に作問でチョンボをしたりするわけでもない。

 どうか、どうか命だけは...