中級者をめざすブログ

ゆるふわな大学生のブログです。

「厳罰を科す」ということのむなしさ

何か書こうと思ったのだけれど、何を書いてもむなしいのでやめてしまった。

 

ただ、それが残された人間の悲しみを癒すとか、心の整理がつくだとか主張するならばそれはおよそありえないことだし、今後同じ犠牲者を生まないためと言いたいなら求めることが違うんじゃないの、としか思うことはできない。

 

そういう気持ちになること自体はごく自然なことだと思うし、全くもって仕方のないことだけれども、その気持ちを利用して(?)よくわからない方向へ進めようとする周辺の人間は、実に醜悪ではないかと思わざるを得ない。

最も醜悪なのは「悪」ではなく「正義」なのかなあ。

 

「どのような真理をもってしても愛するものを亡くした哀しみを癒すことはできないのだ。どのような真理も、どのような誠実さも、どのような強さも、どのような優しさも、その哀しみを癒すことはできないのだ。我々はその哀しみを哀しみ抜いて、そこから何かを学びとることしかできないし、そしてその学びとった何かも、次にやってくる予期せぬ哀しみに対しては何の役にも立たないのだ。」(村上春樹ノルウェイの森』下巻227頁)