中級者をめざすブログ

ゆるふわな大学生のブログです。

最近流行りのアレをやってみた

大学生になってから始めた塾講師のバイトがもう5年目に入る。

まあ典型的な集団指導の学習塾で(学生非正規雇用者に頼らざるを得ないところに闇を感じなくはないが)緩くそれなりの稼ぎを得てきたのだが、今年はご存知コロナウィルスのおかげで教室での授業が不可能になり、1週間の試行期間を経て、今週から本格的にZoomを用いた授業が開講されることになった。久しぶりにブログに書きやすいネタができたのでその感想をつらつら書いてみることにする。

 

今日は3クラス分、合計で4時間分画面の前で喋っていたことになる。

なんと言っても、肉体的にも精神的にもいつもより疲れを感じている。

大学院の教員も口を揃えて話していたが、やはり目の前に誰もいない状態で話し続けることそのものが疲れるし、しかしボソボソと話すわけにもいかず、普段の授業と同じような調子で話そうとすると、その方向に意識を向けなければならないので、余計に力が入ってしまう。自分は生徒の反応にそれほど影響されず授業をする方だと思っていたけど(よくない)、それでもかなりやりにくさを感じた。○進の講師はよくあんな状況で撮影を続けられるなあという感想を抱く。

 

で、各クラスちょっとずつスタイルを変えながらやってみた。

  1. 25名程度のクラス
     立ったり座ったりが面倒なので、小型カメラを書画カメラのようにして手元を映し出し、そこにテキストのコピーを置いて書き込むスタイルでスタートしてみたが、小型カメラの画質の問題か、あまり鮮明にテキストが映らない。どうせ手元に同じテキストがあるから大体の位置がわかればいいだろうと思いそのまま進行してみた。進行そのものは東○に通っていたおかげでイメージ通りというか、それほど違和感はなかった。
     しかし、映像授業との差別化を図るという観点を入れると難しくなる。何せ25人もいるとマイクをオンにして好きに話させるわけにもいかない。とはいえ一方通行では映像と変わらない。仕方がないので、一回ずつは発現させるという名目で雑談したり、発問を多めにしてみた。指名→ミュート解除→「どうぞ!」の順で発現させると比較的スムーズに進んだように思われる(その代わり、一度の問答に時間がかかる)。ナマの会話と異なり、少しでも声が重なると何も聞こえなくなってしまうのがやはり大きな難点。

  2.  10名程度のクラス
     やはり10名を切るくらいの人数がZoomの最も効果的な人数なのかもしれない。ギャラリービューにすることで全員の顔もみることができ、発言をさせながら回すこともそれほど難しくはないと感じた。
     このクラスでは手元でテキストのコピーではなくiPadの画面(データ化したテキストを表示)を映したが、iPadはそれ自体が光源となるため、格段に見やすさが向上していたらしい(生徒談)。まあ当たり前だがAirPlayによる画面共有が最高なのだけれども。バイト先で使用しているPCがWindowsで、iPadと画面共有するために必要なソフトウェアをDLできないのが渋い。

  3. 5名程度のクラス
     このクラスでは試しに全員のマイクをデフォルトでオンにした状態でわりあいにフリーに喋らせてみた(日頃から「あくてぃぶらぁにんぐ」をやっていたので)。まぁこのくらいの人数がフリーに喋る限界かな...
     難点はやはりイヤホンをつけていない生徒がいると否応なしに生活音などが入ってしまうところ。できればマイク付きイヤホンをつけて参加してほしいのだが、まあなんとも。デフォルト設定はミュートの方がいいのかもしれない。

     ちなみに、このクラスではテキストを映すのをやめて、画面共有の「ホワイトボード機能」を使ってテキスト入力を板書代わりにしてみた。まあこちら側としては字が汚くて読めないということを言われずに住むのだが、ぶっちゃけ(普段使っていない)キーボードを絶えず叩き続けるのも疲れるし、もう少しタイプ速度を上げなければならない。

 

試行期間に授業をやらなかったもので、本格開始初日にいろいろ試しにやってみたが、総合すると画面共有+iPadという組み合わせが最もフレキシブルかつ見やすい形で動かせるように感じられた。もうしばらくZoomで授業をしなければならない期間は続くだろうから、工夫して負担のない環境を整備していきたい。

 

【追記】

前述したように、対面授業よりもかなり疲れる。反応の見えない状態で喋るというのは、ある種ラジオ番組に出演するのと変わらないのかもしれない。しかし、数秒の沈黙が放送事故とも言われてしまう(実際に出ていた時にそんなことを言われた記憶がある)ラジオ番組とは異なり、あくまで授業であるから、ある種沈黙を躊躇わないというのが鍵になるのかもしれない。沈黙によって「間」を作ってあげるというのも一つ重要だろうし、受講者に喋らせる時間などのアクティビティの時間を作ったり、チャット機能を用いて「今質問があったのですが〜」というような、お便り的なテイストを出したりしながら、絶えず「変化」を作り出すことが肝心なのだと思う。授業を受ける側でもあるからある程度わかるが、この形態の授業は、やる側も受ける側も、参加者全員にとって疲れるものであるし、その「変化」が幾分かそれを和らげる手段になるのだと思う(やりようによってはさらに負担を増やしてしまうのである種諸刃の剣だが...)